柳井市の白壁の町並み
柳井市は、藩政時代から岩国藩の「お台所」といわれ、「商業・商人のまち」として自主自営の営みを続けてきた町である。柳井市の白壁の町並みには、実際に人々が生活しており生活感がある。
歴史と自然に囲まれたちょっとおしゃれな花と緑の庭園です。昔の地形を生かした様々なテーマ性のある花壇が配置され、四季折々の花が咲き誇ります。売店やレストランがあるほか、遊具もあり家族みんなで楽しむことができます。また、花に関連したイベントや教室もあり、年中楽しむことができます。
月性師が嘉永元年から安政元年までの約7年間開いていた塾名で一般に時習館といわれた当時の塾は50m余東方によった地点に建てられていた。輩出された門下生の中で(贈従四位)世良修蔵、(贈正五位)大洲鉄然、赤根武人、大楽源太郎、(従六位)入江石泉、天地哲雄、浪山真成、土屋恭平、和真道(やまとしんどう)、富樫文周らは有名である。この草堂は明治23年師の32回忌にあたり師を追慕し偉大なる事蹟をたたえるため友人秋元晩番、門人天地哲雄らが発起してこれを建て回名を付したものである。上の間は明治23年6月下旬有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)墓参のとき御成りの間であり、翌24年9月伊藤博文が墓参の折にここに少憩した。
※現地案内板より